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『リトル・ミス・サンシャイン』

リトル・ミス・サンシャイン “Little Miss Sunshine”
監督ジョナサン・デイトンヴァレリー・ファリス
出演グレッグ・キニアトニ・コレットアビゲイル・ブレスリン
アラン・アーキンスティーヴ・カレルポール・ダノ
 『リトル・ミス・サンシャイン』に出てくる一家は、個人的に嫌悪している言葉で言うと、「負け犬」に属するのだろう。煩いくらいに成功を説く父親は本の出版を拒否され、一家をまとめ上げようとする母親はイライラが隠せない。同性愛の叔父は恋人にフラれ仕事はクビ、空を飛ぶことを夢見る兄は願をかけて口を閉ざし、ジイサンはヘロイン中毒で老人ホームを追い出される。美少女コンテンスト優勝を夢見る娘は、実際は小太りのメガネっ子。機能不全の家族を描いた映画は多いけれど、彼らの情けない姿を映し出すだけというのが可笑しい。
 ただし、情けなさの中にある人生の真実(とささやかな希望)を見逃してはいない。何と言っても、クライマックスに訪れる美少女コンテスト場面が素晴らしい。全く噛み合っていなかった家族の心が、「ここに情けなさ極まり」という形で一つになる。爆笑しつつも、目頭が熱い。本当に充実した人生とは何なのだろうと考える。
 
 実は演出は優れているとは言えない。冒頭にあるキッチン場面のカメラの切り替えの拙さは素人のようだし、忘れた頃に「勝ち馬」(winner)「負け犬」(loser)という言葉を必ず入れてくるのは鬱陶しい。狙い過ぎた構図もちょっと気恥ずかしさを感じるし、笑いの質が幼い。でも、そういう洗練されていない、隙のようなものが、映画にいちばんの魅力に繋がっているから面白い。
 それが最も顕著なのは、繰り返し挿入される、黄色いバンにエンジンをかけて乗り込む場面だろう。バラバラの家族の心が、このときだけは一つになる。ポンコツという言葉がピッタリのバンに一人ずつ車に飛び乗る絵の可笑しさが、この家族を象徴している。クラクションの音のあまりのマヌケさも注目に値する。この場面の繰り返しがボディブローのようにジワジワと効いてくる。素人臭く、狙いが透けて見え過ぎだけれど、それすら愛しさに変わる瞬間が、確かにある。
 多分それは脚本の力が大きいのだろう。ウィットとペーソスに満ちたダイアログ。徹底した悲劇の喜劇への転換。何より、決して忘れられることのない家族への厳しく優しい眼差し。一番大切なもの、映画の命と呼ぶべきものにブレがないゆえの力強さが頼もしいのだ。もちろん役者たちもそれに十分応えてる。名アンサンブルというのはこういうのを言うのだろう。それぞれが互いのリズムを奇跡のように捉えている。彼らの泣き笑いの中に「ホンモノ」が見える。